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「はじまり」としてのアーカイブ 向島まちづくり資料館《準備室》報告会&シンポジウム【2022年イベントレポート】

企画名向島まちづくり資料館《準備室》 報告会&シンポジウム “これからの向島、墨田区、そしてアーカイブを語りつくす”
団体名:NPO法人向島学会
開催日:2022年12月3日(土)
会 場:すみだ生涯学習センター(ユートリヤ)

「向島まちづくり資料館《準備室》」(以下《準備室》)という名で、墨田区・向島エリアのさまざまな記録を収集・保存する資料館の完成(=開設)に向けたプロジェクトが始動した。資料館のためのアーカイブづくりを基軸にしながら、そのなかで新たなネットワークや出来事を生み出そうとする、ワーク・イン・プログレス型プロジェクトとしての《準備室》である。

2022年12月3日には、その《準備室》プロジェクトのプロセスを共有し、その未来について語り合う報告会&シンポジウム「これからの向島、墨田区、そしてアーカイブを語りつくす」が開催された。

コミュニティ・アーカイブの危機と《準備室》

第1部の報告会では、北條元康(NPO法人向島学会理事長/(株)北條工務店/ポスト工務店BUGHAUS 棟梁)氏と曽我高明(NPO法人向島学会理事/現代美術製作所ディレクター)氏が、《準備室》プロジェクトの構想に至る経緯を説明するとともに、これまでの活動報告を行った。

ある時にはNPO法人向島学会のメンバーとして、またある時は、そんな組織や団体とまったくかかわりないひとりの個人として、長年、向島エリアにおけるアートプロジェクトにかかわり続けてきた2人。そんな北條氏と曽我氏との2人語りによって見えてくる《準備室》の姿は、とても独特だ。

そんな中、特に、印象に残ったのは、NPO法人向島学会に収集・保存されたアーカイブの今後をめぐる議論のなかで「もう解散もありなのではないか」という話が出てきたというエピソード。これを聞いた北條氏が、「(収集・保存した資料は、当初)アーカイブにするんじゃなかったのか」と思いその引き受けを提案したところから、《準備室》のプロジェクトがはじまったのだという。

このエピソードは、コミュニティ・アーカイブ活動にかかわる我々の心に、深く突き刺さる。NPO法人向島学会は、地域資源の発掘・継承に努めてきた、いわばコミュニティ・アーカイブ活動の先駆けともいえる存在だ。そんな彼らが20周年という節目の年に「解散」を話題にし、自らが集めてきたアーカイブの散逸の危機に直面している。

このような危機に直面する中で彼らが見出したのが、《準備室》というプロジェクトを実施することであったというのは、示唆的だ。20年間にわたる草の根的なアーカイブ活動の中で集められたモノをもとに《準備室》としての活動を生み出すことで、新たなネットワークをつくりだそうとしているのだ。このとき、収集・保存されたモノたちは、活動の「おわり」から「はじまり」へと、その役割を変化させる。

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何を、いかなる質感で残し、いかに開くのか

第2部のシンポジウムでは、そんな《準備室》の今後について探求するための議論が行われた。

登壇したのは4名のパネリスト。パネリスト4名のうち3名は、以前から向島エリアの記憶や記録の継承や共有の活動にかかわる者から構成されていた。彼らの、記録・アーカイブにかかわる視点や思い、アプローチはそれぞれに異なっており、向島エリアにおいて継承すべき記憶や記録というものの多層性をうかがわせる。

草の根的に作り出される記録・アーカイブという視点にもっとも近いところから、現在、このエリアにおける活動にかかわっているのは、ヨネザワエリカ氏(ライター)である。ヨネザワ氏は、現在もリアルタイムで記録化・アーカイブづくりの活動に携わっている。パネル発表では、ヨネザワエリカ氏自身が創始した「スミログ」の活動が紹介された。向島エリアでは、そこに生きる人々の突然の着想によって、日々小さな活動やイベントが数多く行われている。それら名もなき活動・イベントを記録に残したいというヨネザワ氏個人の思いから個人的な記録化の活動が生み出され、それが「スミログ」という活動となって人々に開かれ共有されることにより、また新たな動きを生み出しているという話は、興味深い。

橋本誠(アートプロデューサー/一般社団法人ノマドプロダクション代表理事)氏は、ヨネザワ氏とは対照的な立場から、このエリアの活動の記録化・アーカイブ構築に携わってきた。橋本氏は2012年に実施した「墨東まち見世編集塾」の活動などについて報告した。橋本氏は、アートプロジェクトの記録集作成を参加型かつ公開で行うことによって、記録化のプロセスそのものを発信・共有することの意義を強調するとともに、そのような「公」に開き共有するための拠点・プロジェクトとしての《準備室》の可能性を示唆した。記録化のプロセスの共有は、それそれのものが記録・アーカイブを「公」に開き、共有することへとつながるのだ。

ヨネザワ氏・橋本氏が記録・アーカイブの残し方に焦点を当てていたのに対し、中里和人(写真家 / 東京造形大学名誉教授)氏は、残されるものの質感を強調する。中里氏が試みてきたのは、路地や建物を中心としながらも、その周囲との関係で生まれる「空気の建築」そのものを、写真によって伝えることであった。数十枚の写真を重ねあわせることによって、は、中里氏が22年間にわたり記録・表現してきた向島特有の風景が投影された。中里氏は、それらの風景が持つ「手触り感」を「未来のアーカイブ」として残していきたいと述べる。この言葉は、中里氏の写真群ともに、記録・アーカイブにおいて残される質感をいかに考えていくべきかという問いを我々に投げかける。

アーカイブのつながりが生み出す公共圏

一方、中野純(体験作家)氏は、すでに何らかのかたちで収集・保存されたモノたちが、「自宅ミュージアム」という枠組みのなかで、半公共的にひらかれていくイメージを提起した。

「自宅ミュージアム」の提唱者である中野氏は、「自分の家をミュージアムとして開くこと」の面白さを強調する。中野氏らの試みからはじまった「少女まんが館」は、日本各地に広がりを見せているが、このように「自宅ミュージアム」が広がり、つながりあうことで、総体として大きな収蔵量をもつ「自宅ミュージアム群」が実現する。

中野氏は、これを、「世界の果てまで伸びていく縁側」という印象的なフレーズで表現する。中野氏の提案は、顔の見える個人の手で、草の根的にはじめられた記録・収集活動が、その手触り感を残しつつ、「公」に開かれていくイメージを我々に抱かせてくれる。そして、このイメージは、報告会のなかで示された、ゆるやかなネットワークの創始点としての《準備室》のイメージと共鳴しあうものだ。

今回の報告会&シンポジウムを通じて感じたことは、《準備室》が、向島エリアが非可知(unknowable)であることの可能性に立脚しているということだ。最終的な到達点が見えないからこそ、あらゆる人々が自らの経験や語りを持ち込み、皆で自分たちの歴史を創り上げていくことができる。このとき、これまでに収集・保存されたモノたちは、その「はじまり」を提供してくれる。今後、《準備室》は、これらのモノたちとともに、私たちがともに歴史を編み上げ、生み出していくため対話の場を創出してくれるだろう。《準備室》は、私たちがアーカイブとともに「はじまる」ための場であるのだ。

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石田喜美(いしだ きみ)
東京都生まれ。筑波大学大学院博士課程人間総合科学研究科修了。2009~2011年に(公財)東京都歴史文化財団・東京文化発信プロジェクト室のプログラムオフィサーとしてアートプロジェクト「墨東まち見世」などにかかわる。2015年4月より横浜国立大学教育学部・准教授。図書館・美術館・博物館等の所蔵資料やオンライン上のアーカイブ等を活用した遊びと学びの可能性を探求している。

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