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震災から100年の祈り。「天宇受売命再生乃図〜2つの絵馬のあいだで踊る〜」【2023年度イベントレポート】

鎮魂と再生への願いを込めて

関東大震災から100年の今年。「隅田川 森羅万象 墨に夢」(以下「すみゆめ」)では主催企画「隅田川 百歳の瀬|ももとせのせ」として、鎮魂の意や再生への祈りを込めたイベントを行いました。10月28日(日)には、著しい被災から復興した隅田公園そよ風ひろばを舞台に、スタディストの岸野雄一さんプロデュースで、多彩な歌い手と演奏家の生演奏による盆踊り「すみゆめ踊行列」を開催。その前週の10月22日(日)からは、アーティストの水川千春さんによる《天宇受売命再生乃図〜2つの絵馬のあいだで踊る〜》を、公園に隣接する牛嶋神社神楽殿に展示しました。水川さんは、その土地で採取した海や川の水、雨水などを画材として絵を描き、その紙を火であぶることで絵を浮かび上がらせる「あぶり出し」という手法で独自の表現を展開しています。今回は、作品公開の初日に行われた水川さんによるライブあぶりパフォーマンスの様子をレポートします。

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北斎の絵馬と対になる「あぶり絵」を描く

牛嶋神社からほど近い東武鉄道とうきょうスカイツリー駅で降りると、街は観光客でにぎわっていました。今では想像するのが難しいですが、1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災は、墨田区の本所地域を中心に甚大な被害をもたらし、亡くなった人は4万8000人に達しました。その後は中小の工場地帯として発展するものの、1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲で市街地は壊滅的な被害を受けます。戦後の1947(昭和22)年、本所と向島の両区を合わせた「墨田区」が誕生。復興を目指して、この地域で暮らす人々にはコミュニティを中心とした生きる力も受け継がれてきました。

水川さんは「すみだ川アートプロジェクト」(2010・2012年、主催:アサヒグループ芸術文化財団)で発表経験があるなど墨田区に縁のあるアーティストです。「すみゆめ」事務局から声がかかり、地域のリサーチを進めていきました。

かつて牛嶋神社には、葛飾北斎が86歳のときに描き、奉納した大絵馬《須佐之男命厄払退治乃図(スサノウノミコトやくじんたいじのず)》が拝殿に飾られていました。残念ながら関東大震災で焼失してしまいましたが、すみだ北斎美術館では、美術雑誌に掲載されたモノクロ写真をもとにした推定復元図が常設展示されており、牛嶋神社には雑誌に掲載された写真の拡大コピーが掲げられています。そこには、江戸時代の疫病大祭を祈念してか、災禍をもたらす厄神たちがスサノウノミコトの前にひざまずき、もう悪さはしませんと誓う証文を取られる姿が描かれています。

《須佐之男命厄神退治之図》(推定復元図) すみだ北斎美術館蔵 企画制作:墨田区、すみだ北斎美術館 製作:凸版印刷株式会社

《須佐之男命厄神退治之図》(推定復元図) すみだ北斎美術館蔵
企画制作:墨田区、すみだ北斎美術館
製作:凸版印刷株式会社

疫病と聞くと近年のコロナ禍も連想されるところ。水川さんは「対峙と再生」をテーマとして、北斎の絵と対になる《天宇受売命再生乃図(アメノウズメノミコトさいせいのず)》をあぶり出しの手法で描きました。牛嶋神社の神楽殿には、吾妻橋あたりで隅田川の水を汲み、その水で描いた絵を火であぶり出したこの作品が、北斎の大絵馬とほぼ同じサイズでつくられ展示されました。アメノウズメノミコトは、魂を揺さぶる踊りで天照大神を誘い出したと言い伝えられる芸能と鎮魂の神。水川さんは「ウズメ本人もわからなくなるほどに踊っていて、パッと顔を上げたようなイメージ」だと語ります。隣には花魁と巫女。スカイツリーや高速道路、家々など現在の街並みも交錯しています。

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絵が生まれ出る「ライブあぶり」パフォーマンス

10月22日(日)の「ライブあぶり」パフォーマンスは、14時と15時の2回行われました。神楽殿に上がり、水川さんを囲むように輪になって座り、パフォーマンスとトークを鑑賞しました。筆者は2回目に参加し、緊張した静けさのなかにも熱を感じましたが、1回目はアクティブなパフォーマンスだったそうです。

宮城県石巻市からやって来た四倉由公彦さん(音楽・サウンドアート・郷土芸能愛好家)と当日の朝、隅田川から水を汲み、水川さんはその水であらかじめ描いた絵をカセットコンロの火で下からあぶっていきます。紙を動かしながら少し焦がすと、春に隅田川界隈で見たという桜の絵が浮かび上がって来ました。水を付けた筆で線を描き足してあぶり出してもいます。そのパフォーマンスに四倉さんは笛とギター、水の音を用いた即興演奏で応えます。水川さんは東日本大震災の後、石巻で四倉さんと出会い、ライブあぶりパフォーマンスで共演して以来、10年ぶりのセッションとなりました。

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神楽殿に飾られていたあぶり絵はじっくり時間をかけて焼き上げていますが、ライブでは15分ほどで一気に焼き上げます。線の強弱、茶褐色の濃淡が魔法のように美しく現れていました。ライブの後、水川さんから「自分のさじ加減で半分コントロールしつつ火を読みつつ、火と接触する感じで、そう来たか、そう来たかと動いている」と聞きました。水で何層も塗り重ねて濃淡を調節しておき、濃く出したいときは火を紙に近づけて焦げを出したり、その場で水を垂らして中だけ白く抜いて濃く焼いたり。水の中に溶け込んでいるものの粒子が火に触れて物質化することで、目に見える粒子として出てきます。「あぶりで絵が生まれてくる状態が一番美しい瞬間だと思っているので、皆さんにこの世に生まれ出てくるところを生で見てもらえてよかったです」。

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2回の「ライブあぶり」で表れた絵はどちらも、孤を描く羽衣が水の流れのように見えます。「ウズメの踊りを水の流れるエネルギーのように感じていました。隅田川の水で描くのもしっくりきましたし、自然と衣が川になっていきました」。

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北斎のスサノウノミコトが「退治」のイメージであるのに対し、アメノウズメノミコトは「踊り」のイメージ。「2つの絵馬のあいだで踊る」というタイトルの「踊る」とは「生きる」ということでもあります。「“退治”は漢字を変えたら“対峙”にもなり、当時も同じような思いで向き合っていたのではないかと思います。スサノウとウズメ、過去と現在、ポジティブとネガティブ、良い悪いとかではなくて、その間を行ったり来たりしながら踊ることが人生賛美なんだと気づきました。魂が震えて対峙してまた魂が震えて対峙する。今回のライブを通じて、生きている自分たちが思い切り踊ることが大事だと腑に落ちた感じがしました」。

鑑賞者のなかには「お風呂屋さんのポスターで見て興味を持って申し込んだ」という墨田区の方がいました。アートを見るのが好きで「すみゆめ」を毎年楽しみにしており、ライブあぶりパフォーマンスを鑑賞したかったとのこと。「絵が出てくるときに予想を遥かに超えた感覚を覚えて、絵を見ている側も自分の思いを載せられました。制作過程が生で共有される場の楽しさがあり、完成形とライブの両方を見ることができて興味が深まりました」。「思いを載せる」ことを「祈り」と言い換えてもいいかもしれません。水川さんが描いたアメノウズメノミコトは、牛嶋神社を日々参拝する人々の前に、静かに立ち現れたのです。

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1981年大阪生まれの水川さんは、2006年から2014年まで全国各地を移動しながら、レジデンス会場である空店舗や古いアパート、ドヤ街などに滞在し、生活のなかから出てくる廃材や生ものなどを利用して制作していました。筆者もまた滞在制作する水川さんを見たことがありますが、水川さんはその頃の生活者としての感覚を今も根っことしているように感じます。相反する「水」と「火」はどちらも生きるために必要なもの。矛盾や不条理も「あぶり絵」のなかに受け止め、生きる喜びに変えて奉納したように思いました。

白坂由里
アートライター。『WEEKLYぴあ』編集部を経て、1997年に独立。美術を体験する鑑賞者の変化に関心があり、主に美術館の教育普及、芸術祭や地域のアートプロジェクトなどを取材・執筆している。

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