故郷の歌はみんなの歌。韓国と日本をつなぐ音楽【2019年イベントレポート】
土曜日の夕方。錦糸町駅前、丸井の8階にあるすみだ産業会館サンライズホールに並べられた観客席は、さまざまな年代の人でいっぱいになりました。
ステージに現れたのは韓国の代表的なサックス奏者のソンジェ・ソンさん、イエウォン・シンさん(vo)、ジン・ヤン・パークさん(p)、さとうじゅんこさん(vo)、甲斐正樹さん(b)。そしてドラマーでこの企画の主催者でもある福盛進也さん。
「3月に初めて韓国に行って、素晴らしい演奏者たちと出会いました。さらに韓国の人たちの優しさに触れて、こんなに素晴らしい国がすぐ側にあるんだということを知ったんです。」
「もっとジャズという音楽を通して交流を深めていきたいと思い、準備してきました。なんだか政治の関係が難しくなっているなかではありますが、堅苦しいことは抜きにして、今日は音楽を楽しんでいってもらえたらと思います。」
福盛さんの挨拶から始まった演奏は、しっとりと優しく、ふわっと柔らかな布に包まれたような時間をつくっていきました。
演奏されたのは韓国、そして日本の歌。事前に聞きたい曲をアンケートで集め、演者同士で相談しながら曲目を決めてきたそうです。
1957年に北朝鮮で発表されたという「イムジン河」は、その後に韓国、そして日本でも歌われてきた曲。この日はイエウォン・シンさんが韓国語で、そしてさとうじゅんこさんが日本語で順に歌っていきました。
ほかに演奏されたのは、外国で暮らす韓国の人たちが口ずさむことの多かったという「他郷暮らし」、1960年代にザ・フォーク・クルセダーズが発表した「悲しくてやりきれない」など。知っている人が聞くとちょっと懐かしくなるような歌を、たっぷりためのある、優しいジャズで奏でていきます。
6曲の演奏が終わったあと、ステージに現れたのはスペシャルゲストの加藤登紀子さん。
「韓国とのご縁はいろいろと深いものがありまして。70年代に鳳仙花(ほうせんか)という歌を友人が口ずさんだときに、瞬間的にこの歌は私が歌わなくてはいけない歌だと感じて。歌っているうちに、ひとつの歌が生まれる背景には、深い深い歴史とのつながりがあることを感じました。」
この鳳仙花は、戦争中に抗日の歌として韓国全土で歌われていた曲なんだそう。その曲を加藤さんは韓国語の歌詞で、大切に歌い上げてくれました。
「私が初めて韓国にコンサートへ行ったときも、たくさんの方に来ていただいてやり遂げることができました。けれどその前に行ったとき、私が鳳仙花を歌いたいっていう話をしたら、韓国の新聞記者が、それはまずいんじゃないかって言うのね。日本人にこの曲を歌ってもらいたくない人もいるんじゃないかって。」
「私は、今ここで歌うから、あなたが嫌だと思ったら私は歌わないって言ったの。理屈ではなくて、ただ届くかどうかなので。かつて何があったかっていうことと、今これから生きようとしているものがどうやったらつながっていけるのか。そこには大きな、飛び越えないといけない川があるんです。」
「韓国語で必死に歌ったら、次はもっとちゃんとした韓国語で歌ってくださいよって。その日何時間もかかって韓国語を教えてくれました。歌っちゃいけないって言っていた人が、ぜひと言ってくれた。本当に嬉しかったですね。」
このエピソードを話しながら、戦争がつくる傷の深さについて教えてくれた加藤さん。その後「二等兵の手紙」という曲を日本語の歌詞にして歌ってくれました。
その後、ステージに戻ったメンバーが「韓国の子守唄」や「赤とんぼ」など、誰もが知っている童謡を演奏。ささやくようなイエウォンさんの声と、ずっしりしたさとうさんの声が重なって、厚みのあるステージが続きます。
「愛燦燦」は、たっぷり間をとったサックスの音からスタート。控えめに、けれど存在感のあるドラムの音、そしてしっかりと奏でられるピアノが印象的。
最後は韓国の民謡「トラジ」と「アリラン」をジャズのアレンジで演奏。会場は大きな拍手で包まれました。
アンコールでは再度「赤とんぼ」を。赤とんぼのリズムに、時折韓国の民謡「トラジ」の歌を重ねた、この日だけの音楽が奏でられました。
演奏終了後、楽屋にて演者のみなさんにお話を聞かせていただくことに。
サックスのソンジェさんは、日本の音楽を小さいころから聞いていて「安全地帯」が好きなんだと話してくれました。
「物理的にも近いんですが、言葉の発音が似ていることがあったりして、いろいろなところで共通点を感じました。日本はジャズの水準がとても高いので、ファンが自分たちのジャズを受け入れてくれるか心配しましたが、歓迎してくださって安心しました。」
かわいらしい歌声を聞かせてくれたイエウォンさんは、ミュンヘン在住の方。
「日本と韓国の童謡は三拍子のものが多いんです。文化には共通するものがあるのか、演奏したときに深いつながりを感じました。政治的なことは関係なく、音楽がかけはしになってここで演奏できたことを光栄に思っています。」
「帰り際に話しかけてくれた方が在日3世で、お子さんが日本語をしゃべったり韓国語をしゃべったりしているそうなんです。アンコールで演った赤とんぼにトラジを融合させた曲がすごくよかったと喜んでくれて。私もすごく嬉しくなりました。」
最後に主催者のひとりである福盛さん。
「あえて(音楽ホールではなく)こういう場所で演奏するからこそ、幅広い方に聞いていただけると思ったんです。韓国と日本の音楽にもっと交流があればいいと思うし、今やるからこその意味もありますよね。これを機に、また韓国、そして他の国と交流する機会を積極的につくってみたいと思っています。」
韓国と日本の歌とメロディー。さらにジャズの自由さが折り混ざった時間はあっという間に過ぎていきました。
会場に集まった人たちの年代や雰囲気もバラバラで、それでいて一体感があったのは、さまざまな境界を超える音楽の力ではないでしょうか。
中嶋希実(なかじま きみ)
1985年生まれ、茨城・取手育ち、龍ケ崎在住。川沿い畑付きの家で暮らしながら、東京と茨城と出張先あたりにいます。話を聞いたり、書いたり、動かしたりしながらいくつかのプロジェクトに関わっています。ときどきチャイ屋「きみちゃい」をひらきます。