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古典をコラージュし、現代の母親を描く【2019年イベントレポート】

撮影:三浦雨林
企画名アンダーカレント
団体名:柳生二千翔
開催日:2019年12月15日(日)~12月17日(火)
会 場:YKK60ビルAZ1ホール(東京都墨田区亀沢3-22-1 1F)

“夏祭りの日、子供がいなくなった。航。一瞬だった。一瞬視界から消えて、それから数時間離れ離れになった。留守番させているときと同じくらいの感覚だった。次に会ったとき、身体は冷たくなっていた。それから私は95歳まで、妙に太く長く生きた。”

平日にもかかわらず、会場には50名ほどの観客が集まっていました。壁際に設置された椅子から観客が見守るなか、舞台というより会場全体を使って上演されたのは、能の「隅田川」を現代的に表現した作品です。

夏祭りの日に子どもを亡くしたものの、気丈に振る舞い働く母・吉田小春。休職して川を歩いているうちに、川掃除をしているという人たちを手伝うようになる父・吉田行房。

川掃除をしながらも、盗みをして生活をしているボーさん。小さいころ家出をしたままボーさんに拾われ、そのまま生活をともにしている桜。

仕事も子育ても充実しているように見える後輩に「息子が亡くなったとき、どこか安心した」と話す小春が、周囲から求められる完璧な「母」になれなかった現実が、リアリティとともに表現されていきました。

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この日の公演後は、劇作・演出を担当した柳生二千翔さんと、文芸協力をした木ノ下歌舞伎の山道弥栄さんによるアフタートークが開催されました。その様子を一部ご紹介します。

柳生:今回は室町時代の能『隅田川』を現代演劇として上演したんですが、改めて『隅田川』について、お話いただいてもいいですか。

山道:舞台は武蔵国と下総国との国境を流れる隅田川です。船頭さんのところにある狂った女の人がやってきます。息子が行方不明になってしまって、息子を追って京都から武蔵国まではるばるやってきた。話の中で船頭さんが、1年ほど前、梅若丸という子どもが人買いに連れられて乗ってきたことを思い出します。体調を崩し亡くなって、可愛そうに思った地域の人たちが塚をつくって供養しているから、よかったら寄っていってくださいと話すんですね。その女性は、そこで自分の息子が死んだことを知って悲しむというお話です。

柳生:現代の隅田川物をつくるというのは、古典的な視点から見てどういうことなんでしょう。

山道:隅田川をもとにつくられたお話を隅田川物といいます。当時、子どもを誘拐して地方に売ってしまうという人買いの仕事が流行っていまして、それを題材にしたお話があるんです。そのなかに出てくるお母さんは、物語の最後に息子に会うことができる、ハッピーエンドで終わることが多いんです。女性が子どもや旦那を想って物狂うさまを芸能として見せるという、一種のジャンルみたいなものなんですね。

この『隅田川』の作者は、観世元雅という世阿弥の子どもなんです。父親たちの芸を受け継がず、当時の人さらいにあってしまった子どもに会えない母親というものを題材に、数少ないバットエンドで終わる話です。今回はそれを現代的というか、同時代的なリアルのある作品としてまとめてくださったかなと思っています。

柳生:僕は現代の、正しくなれなかったお母さんのことを考えていて。能の隅田川には母親が泣くシーンが何回もあるんです。だけどそうやって泣けなかったり正しくなれなかったり、美しくなれなかったお母さんの存在を表現したかったんです。

山道:最初に稽古場で見せてもらったとき、突然ヨガがはじまったり、ゴミの船に乗って楽園に向かうシーンがあったり。すごくいい意味でふざけているというか、柳生さんの発想が歌舞伎に通じるものがあると感じました。古典の隅田川をなぞるというよりは、歌舞伎にある“ないまぜ”とかコラージュっていう手法を足していくと、もっとおもしろくなるんじゃないかと思い、協力させていただきました。

柳生:いろいろなものをコラージュするっていうのは念頭において、台本をつくっていました。登場人物の人間関係とか、出てくる小物も実は古典ベースで。

山道:そのひとつが風鈴ですね。桜が持っていた荷物には風鈴がついていたんですが、隅田川物のなかに『桜姫東文章』というものがあるんです。桜姫というお姫様が家を出て遊女になるお話です。そこで昔のお姫様言葉が抜けずに、風鈴お姫という源氏名をつけられて働いていたというものです。

柳生:それもらいました!使います!って。ある意味貪欲に、いろいろな古典の要素を使っています。

山道:使えるものは使うっていうのも、割と古典的な要素だったりするんです。

柳生:最後に出てくる川向うのワタルくんの家に、白くて大きな長方形のシルエットを使いました。これも隅田川の要素を取り入れていて。能の隅田川ではそれは梅若丸の墓で、その中に子役がいて、最後幽霊として出てくるんです。

山道:設定の元になっているのが、めちゃくちゃ古典を踏襲されていらっしゃるんですよね。それでいて、なぞっているわけではない。隅田川物や他の古典作品では、出てくる人たちの相思相愛の要素が強いんです。この演劇は隅田川物なのに、誰一人想い合っていないように見える。すごくすれ違っていますよね。

柳生:好きだけれど嫌いも混じっている。そういう複雑な感情の機微みたいなものがあります。古典にはない新しいものをやろうと思ったとき、そういう側面を現代的に捉えられたのは楽しかったです。想い合っているって、今、なかなか現実的ではないというか。

古典を扱うって、タブーがあるのかもってビビっていた時期もあったんですが、自分なりに古典の要素を入れながら作品にすることができました。的はずれなことをしているかなと思っても、自然と古典的な要素を使っているということがあって。それは面白かったですよね。

山道:感的に選んでいるものが、すごく古典的なんですよね。例えばゴミの船を入れるっていうところを決めていらっしゃって。船と聞いて古典で想像するのは、中世で流行った補陀落信仰なんです。みんなで船に乗り、南のほうにある極楽に向かって船出するという、ある種の自殺業みたいなものがあったんです。

柳生:それで、最後、ボーさんと桜は楽園を目指す展開になりました。

山道:あとは主人公に小春という名前をつけていますよね。あれはなにか意図があったんですか?

柳生:いえ、原作が春の話だったので、そこから残していて。

山道:古典では、近松門左衛門の作で(心中天綱島)小春という女性が妻子持ちの男性と心中するっていうお話があるんです。その女性は最後、大阪中にある橋を渡って死んでしまうんです。今回は船で川を渡りましたが、向こう側に行ける女性というイメージがある。そこを知らないうちにチョイスしていて、直感的に古典とつながりやすいっていうのがすごく面白かったですね。


時間が限られる中でのアフタートークではありましたが、公演中に気づかなかった要素についてたくさん知ることができ、さらにこの公演を味わうことができました。

この日一番印象的だったのは、公演の終盤、観客席に目を移したときに見えた、祈るように手を握りしめながら観劇している女性のこと。現代の生活でも共感できる、リアリティのある演劇だったことを物語っているようでした。

一見すると現代の女性を取り巻く話に、ちりばめられた古典の要素。時代によって変化はありつつも、どこかに共通する子どもへの愛情、そして親として求められるあり方への葛藤があることが表現されていたのかもしれません。

 

中嶋希実(なかじま きみ)
1985年生まれ、茨城・取手育ち、龍ケ崎在住。川沿い畑付きの家で暮らしながら、東京と茨城と出張先あたりにいます。話を聞いたり、書いたり、動かしたりしながらいくつかのプロジェクトに関わっています。ときどきチャイ屋「きみちゃい」をひらきます。

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