岸野雄一が考えるすみゆめならではの「祭り」【隅田公園の使い方インタビュー】
すみだで活動する方々に、これまで取り組んできた活動やすみゆめとの関り、これからについて聞くインタビューシリーズ。第3弾では、2019年に地域内外の多世代が集まった盆踊りイベント「さくらばし輪をどり」をプロデュースするなど多様な活動を行ってきた岸野雄一さんにお話をうかがいました。各地で地域を盛り上げるイベントのあり方にも精通しながら、すみだの住民でもある立場から考える、隅田公園ならびに隅田川沿岸部の活用について聞くことができました。
―すみだ生まれ、すみだ育ちだとうかがいました
父方の祖父は京島で、母方の祖父は押上です。2人とも町会長をやっていました。若い頃に2年ぐらい池尻大橋に住んだことがあるんですけど、全然生活の感じが違って嫌になっちゃいました。隣の人に挨拶しても無視されたり、下町だと考えられない。たまにふと、台南に移住してもいいかなとか、ブリュッセルも合うかなって考えることもあるんですが、やっぱり地元は磁力が強くて、引き戻されてしまう。自分の生まれたところをよくしなければ、次はないだろうなっていう感じですね。
「さくらばし輪をどり」(2019年)でDJをする岸野さん(撮影:川瀬一絵)
―すみゆめ以前からの動きもご存じですよね
アサヒ・アートスクエア(2004〜2016年)の「すみだ川アートプロジェクト」はとてもポテンシャルがありましたよね。公募制だったので、墨田区でも面白いことをしようとしてる人たちがいるんだってことを知るきっかけになりました。スタッフの方々が親身に相談に乗ってくれていたのが良かった。(会場使用に関する)テクニカルな面や当日のケア、ここに話を持っていくと良いよとか、ケアが行き届いていた。僕もいろんな地方や海外のオーガナイズ(企画・運営)を見てきて、その中でも特にフレンドリーさっていうことと、地元密着ということで、アサヒ・アートスクエアの姿勢はとても良い印象を持っていました。ヨーロッパだと最終的なレポートを見るだけではなく、共に作り上げていく事例が結構あるんですけど、日本でもやればちゃんと出来るんだなって思いました。今はその役割をすみゆめが担っているという気がします。
【すみゆめとの関わり】
―すみゆめに関しては、プロデュースからお手伝いまで様々な関わりがありますね
墨田区を文化的に底上げしていこうという姿勢を持っている団体ですから、僕としても出来る限りの協力をしますよ。文化的なものに触れるのに、渋谷・新宿・下北沢・高円寺まで行かなくてもいい、住んでるところでそれが成立する、墨田区でしか観られないものがあるから、他の地区から、海外からも来てくれるという文化的な豊かさを根付かせたいという考えなんです。
ですので、いろんな団体から相談を受けます。細かいところではアドバイスだけだったりもあるけれど、自分は音と映像の分野が専門なので、屋台キャラバン(2021年)では音響周りの全体を手伝いました。
―「屋台キャラバン」の方は、どういうかたちで関わられたのでしょうか
屋台はとても可能性を持ったフォーマットだと思っています。公園で飲食をやるときって、保健所の許可が通るにはさまざまな準備や条件があるんですよね。だからといってキッチンカーばかりになってしまうとつまらない。それは代々木とかよその公園でいくらでも見られる光景で、隅田公園でやる意味がない。隅田公園でしか見られない風景を作れば、人は電車に乗ってでも来てくれます。それだけでなく、屋台というフォーマットはとても自由度が高くて大好きなんです。台湾の夜市や博多の屋台通りなど、観光名所になっているし、ワクワクしますよね。単に商品の売り買いだけでなく、人間同士の触れ合いを感じます。それを求めている人は多いんじゃないかな。
幸い僕は音響関係が得意なんで、DJ屋台を作るところで協力しました。CDやデータのフォーマットでやれば簡単なんだけど、あえてアナログレコードでやりました。つまり振動で針飛びが起こる可能性があるわけですよね。この突発的な、失敗の可能性を秘めたところが、とても面白く、観客の興味を惹きました。
―屋台そのものをつくるところからですね
設計の段階で、どうサスペンションして振動を吸収するかみたいなことから関わりました。スリリングなところがやっぱり面白いんですよ。失敗するかもしれないというのが観客にとっても見てて面白いとこだと思うし、かつ人が現場に来る意味だと思うんですよね。絶対に失敗しないものなんて誰も興味を持たないですから。空中ブランコや綱渡りと同じです。
どこも同じ風景になっちゃうのが嫌なんです。すみだなら、すみだならではのものがいい。それをちゃんとやった方が、結果的にコロナが明けた後も人が来ると思うんですよ。
下北沢の小田急の線路だったところ、遊歩道的な感じで公園化してますよね。あそこも小田急が頑張ってチェーン店を一切入れずに地元のお店を誘致した。通常よりもお金がかかってしまったそうですが、下北沢ならではの良い結果になってると思うんです。電車に乗って下北沢に行く理由がある。すみだは東武さんとの縁があるけど、高架下の「東京ミズマチ」にはよくありそうなチェーン店が入ってなくて安心しました。
【古くて新しい盆踊り】
―2019年にすみゆめでやった「さくらばし輪をどり」はどういうかたちでしたか?
トッピングイーストのお声がけで企画と運営をお手伝いさせて頂きました。昭和の時代に、言問橋を使った輪踊りがあったんですよ。台東区と墨田区を繋ぐっていうイベントが過去にあった。交通事情とかで3回ぐらいしかできなかったけど、歩行者専用の桜橋を使えばできるんじゃないか、ということで計画したんです。残念ながら当日は雨天で、近くの小梅小学校の体育館で開催しました。
小梅小学校の体育館で開催された「さくらばし輪をどり」(撮影:川瀬一絵)
墨田区の中央部、碁盤の目になっているエリアでは、牛嶋神社の氏子さんである48の町会で、毎年同時期に30カ所以上の盆踊りが行われています。それを目当てに遠くから来訪する方も多く、盆踊りファンの間では「牛嶋詣」と呼ばれています。自分は子供の頃から盆踊りが大好きだったんです。毎年各会場をはしごして曲順のリストを作っていました。それだけで30年以上かかっています。ですので、自分の地元で盆踊りを企画するのは、とても大きな意味があり、かつ緊張感もありました。
私はこれまで、名古屋城公園、札幌大通り公園、金沢、長崎、島原など全国各地に呼ばれて、盆踊りのアップデートをおこなってきました。そこでは大きく三つの柱を立てて、バランス良く組み立てていくことを心がけています。まず一つ目は、昔からその土地にあった踊りを掘り起こして、継承していくこと。二つ目は、新しい曲で踊るということ。これは、人目を惹きやすいので話題になることが多いです。ロックやヒップホップ、いろんな国の民族音楽などを、盆踊りの輪踊りの形式で踊るというものですね。三つ目は、生演奏で踊るということにこだわりを持っています。盆踊りが各地で廃れていった理由に、メガホンスピーカーなどの乏しい音響でカセットテープの音源を流すという形式が、現代の音楽を取り巻く状況とそぐわなくなっているというのがあります。
さっぽろ夏まつり 北海盆踊りで「DJ盆踊り」をプロデュース(2017)
自分が企画・運営する盆踊りでは、この生演奏で踊る、新しい曲で踊る、古い曲を掘り起こして踊るということを三本柱として考えていますね。「さくらばし輪をどり」もそのようなやり方を実践しました。その結果、非常に幅広い世代の方々に喜んでいただけました。
世代間の話だけでなく、墨田区はいろんな国から移住されている方々が住んでいる多民族区でもあります。例えばアジア圏、台湾やタイの音楽でも盆踊りを試みました。海外から来られたいろんな方々も楽しめるようなものにしたい、というコンセプトも織り込まれていました。
―そんな思いと、長年のノウハウが集結していたんですね
そうですね。これまでの過程で集まってきた協力者たちも重要です。例えば「のらぼん」という、公園や路上などで野良で盆踊りをやるチームとか、そういう仲間の協力なくしては成立しなかった。全国に「盆踊ラー」という盆踊りファンの人たちがいるんですよね。規模の大きい築地本願寺や日比谷公園の盆踊りもいいけど、牛嶋詣っていう形ですみだの素朴な盆踊りをたくさん回るのもいいよね、みたいな人たちも多いんですよ。海外からもその時期に墨田区に来られて、盆踊りを回る人もいたり。実は十分な観光資源になっているんですね。
―とはいえまだまだ、多様な楽しみ方はされてない感じでしょうか
盆踊りはまだまだ可能性を秘めたコンテンツだと思っています。例えばうまくいっている例ですと、日本橋地区は全部で68ぐらいの町会があるんですが、7月から8月にかけて、小さい町会ごとの盆踊りがいろんな場所で開催される。その上で8月の最終日に浜町公園で、全町会を挙げて総合盆踊りがあるんですよ。そこはもう、各町会のエキスパートが代表曲を生歌で踊る。町会ごとのライバル心が、良い形で昇華されていて、結果的に地区の結束が高まるんですよね。そういう催しを牛嶋神社のお膝元である隅田公園でもできないかなってのが夢ですね。
【多様な人が楽しめる場としての隅田公園】
―隅田公園のリニューアルについてはどのように感じられていますか
とても良くなりました。まず公園で何かやるときに電源が取れるってことが大きい。たいていの屋外イベントはそれがネックになります。それから単管パイプを舞台やスクリーンを組むときのベースになる穴がある。造作がしやすくなりましたね。
交通のアクセスで言うと、昔あった隅田公園駅が復活すれば嬉しいですけどね。東武鉄橋沿いにリバーウォークができたから、浅草からも来やすくなったと思います。あとはミズマチの東西を分断している三つ目通り(水戸街道)に横断歩道が出来て欲しいですね。海外のパターンだと、トンネルを掘って地下通路を作っちゃうでしょうね。
―地域住民の視点からはどうでしょうか
これまで、鬱蒼とした森みたいな感じで女性が通り抜けるのははばかれる感じもあったのが、今はもう通勤通学で使うのも普通になりましたね。ただ公園に魅力を感じていた人は多様で、あの鬱蒼としたところが良かったっていう人もいるわけです。多様性を謳うなら、いろんな人の意見が反映されるべきですね。居づらくなって、浅草方面に移られてしまった方々もいる。公園の北側も今後開発されると思いますが、その辺のバランス感をうまくとっていただけるといいなと思います。
―いわゆるマイノリティと言われてる方も含めて、多様な人が楽しめる場やイベントを大事に考えられているのですね
だって公共空間ってそうでしょう?全ての人にとっての居場所であるべきです。それが公園の役割であると思ってます。
【すみゆめへの期待】
―すみゆめへの期待はありますか
ハブの役割ですね。地域の相互扶助関係を作りだす機関であって欲しいです。様々な年代の方々が公募に参加していると思うのですが、世代間や趣味嗜好の違いを乗り越えて、交流を促すような仕組み作りをして欲しいと思います。
これは本当によく言われることで、改めて言うのは恥ずかしいくらいなんですが、地域振興や町おこしで、様々な地域や海外の事例を見てきて、うまくいく原則があるとするなら、たったひとつあります。「若者、バカ者、よそ者を大事にしろ」です。これが前提となっている地域では、若者たちは伸び伸びと新しい試みにチャレンジし、文化的に豊かになり、新規住民の参入も活気がつきます。好きにやらせてくれる年長者を結果的に敬うようになり、若者たちが伝統行事にも手を貸し、次の世代への継承がうまくいきます。年長者が若者を抑圧すると、まずお祭りなどの伝統行事に手を貸す人が少なくなり、町全体が廃れていきます。バカ者というのは、まあ、お祭り男のような存在ですね。お調子者で問題を起こすこともあるのですが、物事に活気や勢いが出ます。話だけに終わるような催しが、実現に結びつくには、個人の熱量が必要です。人を引っ張る熱量とスピード感のためには、このバカ者が必要なのです。よそ者というのは言わずもがな新規住民です。「私の方がこの土地に長く住んでる」といったメンツの張り合いをやっているような地域は、絵に描いたように廃れていきますね。
それから、いろんな地域の芸術祭が陥る轍を踏まないで欲しい。芸術作品を生活圏に持ってきたから庶民の皆さんありがたく鑑賞してください、みたいなやつですね。住民の主体性を喚起する仕組みや文脈の説明がないと、生活の中にアートが入っていかないなっていう気がします。同好会の発表会のようなものも、打ち上げをやって集合写真を撮って終わりみたいな感じで、閉じてしまいがちなので、未知の人が参加できる余地を作っていって欲しいですね。力を入れて欲しいのは、住民参加型のものです。遊びの感覚で参加して触れてみたら、実はそれがアートだったと後から気づくぐらいでもいいと思います。自分は元々メディアアート畑でもあるので、参加者によって作品自体が変容する余地を持っているものに魅せられます。
【「ここに住みたい」と思わせたい】
―他に隅田公園や隅田川界隈について考えられていることはあるでしょうか
(隅田公園は)牛嶋神社や池がある日本庭園など、和の趣があります。そこには厳かな神聖さがあります。それは大事にしてほしいです。着物姿の新郎新婦や、七五三のお子さんの記念写真スポットもあります。それは一生に一度のことですから、イベントなどで邪魔をしてはいけない。今風に言うと、インスタ映えするスポットがたくさんあるということです。公園の安全性を担保するためには、照明を多くして明るくすれば良いというものではないです。明るさよりも見通しの良さ。散歩コースとしての回遊性と見通しをバランス良く作れば安全性は確保できます。開発が予定されている公園の北部は、木々の多さも魅力的ですので、伐採よりも移植を心がけて欲しいです。現在の桜の品種は、気候温暖化で今後20年は持たないと言われています。桜を地域のシンボルとして頼るだけでなく、未来のことも考えていかければ、次世代に繋いでいけないと思います。
公園自体が横に長いので、白髭橋方面へ散歩コースが作られたらいいと思います。途中に倉庫や交通公園もありますが、夜に1人では歩けない雰囲気です。それを遊歩道のようにつなげられたら、足立区や台東区からも人が行き来できますよね。首都高速の向島線を屋根だと考えて、雨がしのげるエリアをつくることができる。毎日ジョギングするような人にとっても大事なことだし、イベントを開催する際にも雨天中止にならず有利です。なぜ刀剣博物館の横の堤防をジョギングする人が多いかというと、上が高速道路なので雨でも濡れないからです。町づくりや都市開発をする人は、机上のプランではなく、実際に自分の足で歩いて、生活を見て、設計をしてほしいですね。
海外では本当に河川や高架をうまく使ってますよ。世界中どこへ行っても川は流通の要だったから、たいてい両岸は倉庫なんですね。その跡地を使った劇場や美術館、展示場といった、人が集まれる場所に転用されている例が多い。隅田川はカミソリ堤防といって、防災をメインに開発を進めてしまったので、全く文化的に生かしきれてないんですよね。とても勿体ないです。オランダやイタリアのように、防災を前提にしつつ、川べりは文化的に豊かな場所なんだという開発の動きを期待したいです。
―まだまだやれることがたくさんありそうですね
隅田公園が成功例になればいいんですよね。そのためにも、手作り感のある小さいことを住民が主体となってたくさんやっていきたいですよ。指定管理がイベント会社に委託して企業イベントだけになったらつまらない。そうなって欲しくないですよね。あくまで住んでいる人たちが主役で、外からも来た人たちが「こんな町に住みたい」って思ってくれたら、それは結果的に、住民の大きな誇りになると思うんです。
編集:ノマドプロダクション