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祈りの正体を探る「得体の知れない箱で都市を過ごす」【2024年イベントレポート】

企画名「得体の知れない箱で都市を過ごす」
団体名:武田力
開催日:2024年12月7日(土)13:00〜16:00
会 場:float(墨田区文花2-6-3)から京島第二集会所(きらきら会館)(墨田区京島3-52-8)

「わっしょい」「わっしょい」

滑車の付いた大きな白い箱。その周りを取り囲む人が掛け声とともにゴロゴロと箱を押し、すみだの町を進んでいきます。

現代における宗教や祈りとはなにかを問い直すプロジェクト「得体の知れない箱で都市を過ごす」が、2024年12月7日(土)に開催されました。やることはひとつ。大きな白い箱を、山車や神輿のようにみんなで押して目的地まで運ぶこと。このイベントに参加した模様をレポートします。

13時に墨田区文花にあるfloatに集合。箱を運ぶ前に、企画者である武田力さんから、イベントの趣旨が説明されました。お神輿や山車といえば、日本の祭りの象徴的なもの、というイメージがありますが、「山車を引く」という行為は、日本だけではなく、世界中の祭りにあるそう。様々な国のキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教の祭りの写真や動画を見せてもらいます。

そこで武田さんから問いが投げかけられます。「なぜ人間は箱/山車を押すのか?」。「今回は、祭りの熱狂から距離を置いて、山車を押すという行為を演じ直してみる試みです。どう見られているか、どんな場所を歩いているか、考えながら歩いてみてください」。(武田さん)

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作曲家の宮内康乃さんからは、3つの掛け声「わっしょい」「スーッ(息を吐く音)」「よーいよーいよーいさ やーぁとせーどっこいさ」を場面で使い分けていくことが案内されました。

さあ、いよいよ箱の登場です。現れたのは、約2m四方の箱。目の前で見ると、思っていた以上に大きい!「この箱の中にそれぞれ祈りを込めてください」と武田さん。願いでも、亡くなった大切な人などでも良いのだそう。そしてそれを誰かと共有する必要はないとのこと。私も箱を見つめながら、心の中で祈りを伝えました。中には、目を瞑って、箱に触れる手にぎゅっと力を込める人も。

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箱を押す人、ロープを持つ人、誘導をする人、など持ち場に分かれて、いざ出発。まずは「わっしょい」「わっしょい」と掛け合いながら進みます。

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民家が並ぶ細い路地に入るとき、宮内さんの合図で掛け声は「スーッ」に変わりました。さっきまでは祭りの高揚感がありましたが、掛け声が変わると今度は厳かな気持ちになります。

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怪訝な顔で横を通り過ぎる人、「何が入ってるの?」と聞きに来る人、様々な人がいます。途中で出会った小さな男の子は「手伝いますか!」と言うと、パパに手を引かれながら箱を後ろから押してくれました。

キャンパスコモンすみだで休憩をして、再び出発。それまで後ろからついて行っていた私も、箱を押してみたくなって、前方で箱を押していた人と交代しました。「さっきより、もっとゆっくり進んでみましょう」。武田さんの声掛けで、そろりそろりと箱は進み始めます。

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「わっしょい」「わっしょい」の掛け声で、踏切の線路を越え、大通りに出ると、後ろからはバスがやってきました。対向車もきます。道路使用許可を取っている、とは聞いていたものの、このままゆっくり進んでいいのか、止まったほうがよいか、どうしようと運ぶ人たちもざわざわ。運ぶという行為に集中したいものの、やはり周りの環境に揺れ動きます。

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続いて、箱は、京島のキラキラ商店街へ。宮内さんが作った歌「よーいよーいよーいさ」「やーぁとせーどっこいさ」の掛け合いで進んでいきます。車が入れない通りへ来て、やっとゆっくりと歩くことができるようになりました。

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武田さんから「自分と箱の関係を感じてみて」と言われたのを時々思い出しながらも、体は、どうやって細い道で人や物にぶつけずに、箱を動かしていけるかに集中しています。たまに箱の中に込めた祈りを思い出しては、ひとりではどうにもならないものを支えながら、歩くということ、その行為が祈りなのかもしれないと思いました。

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宮内さんの合図で、再び掛け声は「わっしょい」へ。商店街のたこ焼き屋さんも「わっしょい」と声を出しながら体を揺らしているのが見えます。

スタートから1時間ほどしたところで、箱は目的地のきらきら会館へ到着。振る舞われた飲み物をいただいて休憩した後は、アフタートークの時間。参加者5,6人でグループになり、今日感じたことをシェアしました。

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同じ箱を運んでいても、たくさんの見えていなかった景色や聞いていなかった言葉を、他の参加者の方の発言から知ることができました。わっしょいのときは「お神輿を中に入れて運んでいる」という人が、スーッのときは「機関車トーマスだ!」という子どもがいたそう。私は歌のときに、目を瞑って両手を胸の前で合わせている人に出会いました。「得体の知れない箱」は、掛け声や運ぶスピードによって出会った人に異なるイメージを想起させていたようです。

また、実際箱を運んでいる間は、押して進むこと以外何も考えられなかったという意見には多くの共感が寄せられました。祈りを託しながらも、ひとりでは決して運べない大きな箱を大人数で運ぶことで、個人の祈りは無化させれていく、という視点に、私もなるほど、と頷きました。

「日常生活における祈りとは」「祈りと祈りが対立したらどうしたらいいのか」。今日得た体感から、少しずつ、宗教や信条、それらが対立する戦争へと思いを馳せるように、トークの内容は深まっていきました。

熱狂から距離を取り、他人を想像すること。自分の言葉を紡ぐこと。もしかしたら今日体験したことは、平和へとつながる行為のひとつなのかもしれない。トークを経たあとは、箱と過ごす体験もそのように思い返されます。ひとりひとりが感じたことを胸に抱きながら、floatへと戻っていく大きな白い箱を見送りました。

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福井尚子(ふくいなおこ)
上智大学文学部国文学科、De Montfort University MA Cultural Events Management卒。アートと社会とそのあわいに目を向けながら、アートや福祉にまつわるWebマガジンの記事、文化団体の広報誌などで執筆・編集を行っている。

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